代表 大津庸子 プロフィール
物理学の教師になるのが夢でした
学生時代は高校の物理学の教師になるのが夢でした。
私は神奈川県相模原市の周りに自然が多くあるような場所で育ちました。
小学校の頃から、母は寺子屋塾のような完全口コミ制の小学生中学生対象の学習塾を自宅で始めたこともあり、近所の子供たちがいつも大勢の集まり、まるで親戚か兄弟のような環境でした。
そんな中で、私と弟は勉強することが当たり前の習慣として身に付けるでき、高校は地元の進学校に入学。
中学時代はいつも成績は学年で1番だったのですが、550人いる高校では5位から500位くらいの総合成績を行ったり来たりというまるでジェットコースターのような成績で、高校1年の期末テストの物理では、なんと100点満点中16点という、それまでの人生の中でありえない点数の低さに衝撃を受けました。
それから私は必死で物理を勉強することになり、やがて物理学の面白さに目覚め、アインシュタインの特殊相対性理論のE = mc2に壮大なロマンを感じることになります。
E = mc2の物理方程式には、命の重さや、物を大切にしようというメッセージの込められた、語れば1時間でも足りないほどの非常に沢山の意味が詰まっている宇宙の法則です。
どんなに苦手な事でも、それを面白く伝えている下さる先生がいれば、その教科を好きになり継続して学ぶ意欲が湧いてきます。私は身を持ってそれを体験しました。
そして私は物理の先生に次のような質問をしました。
「どうして先生は研究者にならなかったのですか?」
「僕には、物理の才能がないと分かったので、僕を超えて物理の研究者になって、世の中を変えてくれるような生徒を育てたいと思って、物理の先生になったのですよ」
と教えて頂いた時に、私はとても感動して
「私は先生のような高校の物理の先生になるんだ!」
という志を持って、東京学芸大学の物理学科に入学する事になります。
ワンダーフォーゲル部で冒険の日々
大学に入学すると同じクラスのA君という天才に出会いました。
考え方、発言、行動、全てがぶっ飛んでいて、A君に憧れた私は、A君が所属するワンダーフォーゲル部に入部しました。
きっかけは、単純ですが、実はこの部活動が、今の私を作っていると言っても過言ではないほどのたくさんの経験をしました。
夏休みの合宿で、手作りのイカダを作って四万十川を太平洋まで何泊もしながら川下り。
釣竿を持っていって魚を釣って食べ、夜は満点の星を見上げながら、河原にウレタンを敷いてシュラフカバーをかぶって寝ました。
また、2年生の時には、北海道のクワウンナイ川の沢登りと大雪山系の縦走合宿に参加しました。
そこでは、熊も出るので鈴をつけながら、道なき道の沢登りをする山行です。
川には水の綺麗なところにしか生息しないイワナが沢山いて、釣り針と釣り糸だけ持参して、落ちている棒切れを拾い釣竿にし、地面を掘ってミミズを探して餌にして、イワナを釣りました。
串も落ちている棒切れを拾って、ナイフで削って天然の串を作り、串刺しにして焼いて食べました。
このワンゲル活動のお蔭で、合宿を企画すること、プレゼンして合宿メンバーを募る事、地域の人たちの温かさを感じたり、あきらめないでチャレンジする精神、そして、何もないところでも周りにある物を工夫して自分で道具を作ること、道なき道でも磁石と地図を頼りに正しい合宿ルートを歩む事、命をかけて遊ぶスリリングさ、偉大な自然の力には、私たち人間の出来る事はとてもちっぽけである事など、本当に様々な事を感じ、体得することができました。
まさに、地球を舞台に全身全霊をかけてチャレンジする喜びです。
そして、専門の教育学部の物理学専攻では、放射能の出る実験の陽電子消滅の手法を用いて、ミクロな世界を研究していました。
特殊な実験道具の試験管を作るために、実験室にこもって、気がつくと何時間も実験室にこもっていて、まるでガラス職人になったような気持ちで、とても楽しかった事を覚えています。
物理学から保険営業へ方向転換
高校の物理の先生になりたかった私は、東京都の教員採用試験を受けましたが、倍率は88倍のとても狭き門で、2次の集団討論会で落ちてしまいました。
2次試験の結果が発表になったのは大学院2年生の10月でした。
そこから就職活動を始めたのですが、母が新聞広告で日本生命の募集の記事を見つけて応募しました。
そこには「営業・事務・設計」と書いてあり「設計だったら物理の私でもできるかもしれない」と思って営業の募集だと全く思わずに、気軽に応募しました。
面接では、トレーナーという仕事も選択出来ると伺い、子どもに物理学をを教えるのも、保険の業界で新人さんを指導するのも、同じ教育の仕事になると思ったので、すぐに気持ちを切り替える事ができました。
営業初日に怒鳴られる
日本生命はとても楽しい会社で、営業部の同期は9人。
毎朝日経新聞の読み合わせも行い、ロープレも先輩方と行い、5月の中旬から、ようやく生命保険募集人の資格が取れて担当企業に訪問を始めました。
私の担当企業は、大手総合商社の本社でした。
忘れもしない初日のことです。
トレーナーの同行がなく1人で訪問したのですが、お客様に誕生日アンケートを書いていただこうとしたときに、
「なんでお前にそんなことを教えないといけないんだ!」
と、大きなフロア全体に響き渡るような声で怒鳴られ、心の中で大泣きしながら営業部に戻りました。
翌日訪問したときには、「昨日は申し訳なかった」と謝っていただきましたが、おそらく午前中の仕事で何か虫の居所が悪くなっておられて、私に八つ当たりされたのかなと解釈しましたが、それ以来、セールスを楽しむ余裕なんてなく、いつもビクビクしながら恐れていました。
それから毎日、毎日お昼休みに訪問しましたが、一向にご契約は決まりません。そんな中、同期は6月から次々と契約が決まっていたので、かなり焦りました。
ブレイクスルーはバナナ
そんなある日、お客様へのプレゼントとしてバナナが支給されました。
ところが、バナナは重たいので営業部の先輩方何人かはバナナを持っていくことを選択されないで営業部にバナナがたくさん余っていました。
私は3房ほどの大量のバナナを抱えて、担当企業に夕方訪問しました。
夕方に残業されている方に対面で手渡しするだけではバナナが余ってしまったので、普段会話が親しく弾んでいる方の机の上にも名前入りのバナナを置かせて頂く事にしました。
バナナを机に置いても、翌朝『誰が置いた?』となってしまうと思い、このようバナナに名前を書きました。
O2は大津と酸素(O2)を掛けて、酸素のように必要とされる大津で在りたいという思いを込めて書きました。
朝出社されたら、机の上に謎の暗号O2が書いてあるバナナが置かれているわけですから、相当びっくりされたに違いありません。
でも、そこからブレイクスルーが起きました。
笑いながら私に話しかけてくださる方がとても増えて、8月にやっと担当企業の方から初契約をいただくことになりました。
その後担当企業さんでは、お歳暮のハムの注文を取り付けを頼まれたり、指定の場所で宝くじを買ってきて欲しいと頼まれたり、社内のソフトボール大会に参加してほしいと頼まれたり、総合商社の連合スキー大会に景品を持って、更にはスキー大会にも女の子を連れて参加して欲しいと頼まれたり、他の企業さんとの合コンをセッティングしたりと、ありとあらゆる事を頼まれて、それも楽しく取り組んでいました。
半分、担当企業の社員になったような気持ちで、心を込めて訪問していました。
10年目の退職。個人事業主に
会社はとても居心地は良かったのですが、10年目で退職を決意しました。
理由は、日本生命だけの保険商品(提携会社の損害保険も含めて)を扱うことがお客様のお役に100%立てないと感じるようになってしまったこと、更には保険の営業活動を通して、「お客様の健康も守りたい」と、予防医学の必要性を学び始めていたのですが、健康産業でもっと沢山のお客様に貢献したいと考えて、個人事業主として当時独立しました。
それまで10年所属していた日本生命で、私の社会人としての大切な土台を築かせて頂いたこと、飛び込み営業を含む法人営業のノウハウまで体得出来たことは、本当に感謝しても仕切れないくらいです。
独立してからも、営業や企画に関する業務は沢山取り組んできました。
健康産業事業では、30分でプレゼンが完了する動画の企画制作と、セールスチームの構築にも携わりました。チームで億単位の売り上げを達成したこともあります。
その後、平成20年5月には会社も設立し、法人向け商材の説明会開催や運営実施なども手掛けてきました。
新たなチャレンジ!
オンラインセールスの壁
2020年2月からは、あるご縁がきっかけで、株式会社ゼロアンリミテッドの佐藤雄一社長の元で一緒に働かせて頂く事になりました。
ちょうどその頃からコロナが本格的に猛威をふるい始め、全国で説明会を開催するはずだったセールスも、すぐにリモートで開催すると切り替わり、ZOOMでのセールスを開催する準備に入りました。
ところが、パソコン操作が苦手すぎて、パワーポイントの資料もどこかに画面から見えなくなってどこかにいってしまったり、個別相談の時にZOOMで資料をきちんと開いて待機する、などの基本操作がほとんど遠隔ですとスキルアップが進まず、セールスチームの方々との遠隔ロープレの時も、あまりにパソコン操作が慣れていなくてそちらに気が取られて、棒読みのセリフを読んでいるような応対の仕方になってしまい、最初のオンライン説明会での個別対応の業務の時には、結局現場に立たせて頂く事が出来ませんでした。
セールスには圧倒的な自信があったのですが、今までセールスや営業の仕事で「現場に出てはいけない」という事は一度もなくて、どうしようもないくらいのジレンマを感じました。
とにかく、まずは行動してみて現場で臨機応変に対応する、というのが私の特徴だったので、「オンラインセールス」の時にもまた2度目の大きな壁が立ちはだかり、セールス専属で業務をお引き受けしたのに、足を引っ張っている自分が情けなくて、とても焦りました。
オンラインセールス
ロールプレイング100本ノック
2回目のオンライン説明会の業務では、このままでは本当にいけないと感じ、毎週1回定期的にスキルアップのオンラインミーティングがあるのですが、顔出し無しで参加して良いミーティングではあったものの、その時の仲間の方々に私の真剣な姿勢を伝えたいと思い、あえて顔出しをして
「どうか私のロープレの相手をしてください。ロープレ100本ノックをお願いします!」
と、思わず悔し涙を流しながらも、チームの皆さんの前で頭を下げました。そして、皆さんには快くお相手をして頂けると快諾して頂けました。
その時の動画を見ていた、ゼロアンリミテッドの佐藤社長から、翌日、こんなメッセージが届きました。
……………………………..
悔しい時に悔しいとすぐ言える人は絶対に伸びます。
年齢じゃないし、スキルじゃないし才能も全然関係ないです。
だからこそ、とても期待できるなと感じた回と思いました。
ノーガードで打たれるのはめっちゃ痛いです。
実際に気持ちの痛みは
リアルな体の痛みと同じだけの
痛覚の刺激があるらしいですから
涙が出るほどということは
本当に痛いんだろうなと思います。
でも、、、
そういう一つ一つの経験が
絶対にプラスになると信じてますよ。
私は大津さんがぐーっと成長するの
楽しみにしていますね!
……………………………..
コメントを読んだ時、私は感謝の涙を流しました。
私の努力を信じて温かく見守って下さる上司がいてくださることに深く感謝しました。
日本生命の新人時代には、私を信じて見守っていただいた上司。
そして、パソコン音痴の私に苦言をおっしゃるでもなく、見守っていただいた佐藤社長。
『なんて、私は恵まれているのだろう!』
そう感じずにはいられませんでした。
必ず成果を出してみせる。そして私を信じて待ってくださる佐藤社長に、必ず喜んで頂くと心に強く誓いました。
セールスにかける思い
そして一緒に取り組むチームの大切さ
ロープレ100本ノックにお付き合いいただいたスタッフの皆さんのおかげで、オンランセールスでも成約率も上がり、沢山のお客様との出会いもあり、オンラインセールスを心から楽しめるようになりました。
今、空気を吸うようにセールスが出来る私も、こんなにもセールスがダメだった時期がありました。
人はいつからだって、チャレンジして成長できます。
私にとってオンラインセールスの壁は、つい2020年の春の事で、その壁を突き破り成長できたのです。
そんな私だったからこそ、セールスが苦手な人にも、楽しく取り組めるコツを1人でも多くの方にお伝えしたいと願っています。
そして、このコロナ禍で仕事が無くなったり、減ってしまって収入の不安がある方に「セールスの力が身につけば、一生食いっぱぐれる事はありませんよ」と、本気でお伝えしたいです。
お蔭様で、私は今毎日のように色々と繋がりが出来て、両手でも抱えきれないほどの沢山の面白いプロジェクトに携わらせて頂いています。
セールス力さえ磨けば良いのです。
そして、今のスキルは全く関係ありません。
大切なのは、
- お客様に価値ある商品やサービスをお届けしたい
- 社会に貢献しながら自分も収益を上げていきたい
- 真面目に努力する事は成長に繋がるから楽しい
このように純粋に思える方であれば今の状態は全く関係ないのです。
セールスとは、お客様に「商品やサービス」という目に見える形の「愛」をお届けする行為である。
これが私のセールスポリシーです。
これに共感、賛同して下さる方で、少しでもセールスを楽しく体得したい、今手がけている商材をより多くの方に届けたい、仕事がなくて先行きが不安だ、というような方は、どうぞお気軽に個別相談にお申し込みください。
真摯に全力で向き合わせて頂きます。
とても長くなりました。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
あなたとの出会いを心からお待ちしております。
株式会社OLC
代表 大津庸子
お問い合わせ
実績 | :日本生命で個人・法人の営業を経験。対面とテレマーケティング営業を経験し、上司の依頼で、法人開拓のセールストーク研修を実施 |
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